昨日、無理な職場環境の話を書いた。今日、別の部署の人に会って、まじで無理ですって上長にメールしたってことを話したら、
「早く言ってくれてありがとう!」って何故か感謝された。
今までの人生、主に親のせいで、「我慢できる度合いは高いほど良い」「すぐに音を上げないのが強い」「耐えられるのが立派」みたいな刷り込みがされてきましたので、今回は本当に驚きました。
いやまあ客観的に見れば、ビジネスライクに考えればわかります。誰かが無理ですって声をあげてくれたほうが、その場所に潜在的な危険が存在することが早くわかりますもん。だけど、自分が絡むとなかなか難しい。主観が絡むと難しい。
上長に相談する前に父と話していて、「いかに異動したいということを新人のわがままではなく本当にやばいんだということとして伝えるか」という伝え方の議論になりました。
感情論で本当に無理なんです~~~って語るとワガママいってるように聞こえるから、指示が人によって違って仕事をする上でとてもストレスなんですもっと仕事をするのに良い環境に移してくださいっていう風にいけって言われた。
まあ、ほんとうにワガママな人っているので、そういう人のせいで、普段ワガママ言わない人がたまに言うと、もっと我慢しろとかいわれるんですよね。すぐに無理って言っちゃう人の無理1回と、まじで無理なときしか無理って言わない人の1回じゃ全然違うのに、そうやってあしらわれることがある。
でも、無理って言う側も、これを意識するだけで違うのかもしれない。私の無理はまじで無理の無理なんで、呼吸するみたいに無理って言う人の無理とは違います!ほんとにこれ以上はダメですって言って自分から先手を打つのもいいのかもしれない。
極たまに、そういう先手を打っても、「無理・ダメっていうけど、言いながら元気そうじゃん。まだ生きてるでしょ、すぐ死ぬわけじゃなし。大げさだよまだいけるでしょ」とかいう人もいるんですよね(笑顔)ほんと最低(笑)
さて、話は戻って、無理だと思ったので臨床心理士に会いに行った。平日しか会えないので、有給半日取って会いに行ったわけですが…
うちの会社は休暇の人がメモで通院とか書いてる人が多いので私も通院って入れておいた。そうしたら心配してくれる人がまた心配してくれました…。
当然心配言わない人は何も言わないどころかみんなへ「サイカさんは今日は私用で午後休です」とかいうんだぞまじ私用なのはそうだけど私用って私用って…プライバシーへの配慮のつもりなのか?ああん?
昔は、頑張って耐えながら顔色悪くしながらあの人大丈夫かなって心配されるのがカッコイイ?みたいな謎の宗教に取り憑かれてたんですけど、正直な話、今は、マジで環境がやばくて一人でも多くの人に心配してもらって離脱したいのです。
相変わらず父なんかは「半休とだけ書けばいいのであってそんな余計に心配されることを書かない」とか言いますが、心配してもらって異動させてもらうってそんなに悪いこと?!心配しないのに移してなんてくれるの?あいつなんだかんだいいつつ仕事はやってるから大丈夫だろうって思われるのが一番イヤです。
やばそう+仕事もできてない=移してやらないといけない(本人のためにも、その仕事のためにも)
だけど、やばいと言っている+仕事は早く進んでいる=じゃあただの愚痴だろ仕事できてるから元気なんだろ
みたいな認識の人がいるのです。違うんです人間関係やばくても仕事はするんですできるもんじゃないやるもんなんです…そこがわかってもらえないことがおおい…
だから、やばいといっている+仕事は早く進んでいる+でも休んででも病院いったみたい=ちょっとやばいんじゃないか?ってくらいになってもらわないといけません…。
そうじゃないと、できる仕事をできないふりをしないと心配してもらえないという事態がおきてしまうのです…。
本当にやばいんだから、いいじゃない。心配してもらいたいもん。
本当は心配されたいのに、心配されたいけど構ってちゃんみたいに思われるの嫌だから誰かに気づいてもらえるようにサインだしながら悲劇のヒロインみたいなのを演じるみたいななんかそういうのはもう疲れました。
素直になるということは難しいけど、真の望みが「心配されたい」「異動したい」なので、素直にいこうと思いました。
別に、ビジネスですもん。私が心を砕いて献身したからって会社が私の銅像を建ててくれるわけじゃないしね(笑)